公設市場跡
 第一次世界大戦によって全国的に物価が高騰し、戦後の不況が昭和にかけて米騒動や労働争議、小作争議を起こし多くの社会問題をもたらした。こうした状況のもとで、浜松市では社会施設の充実を図ることとなり、大正11年(1922)に三組町、常盤町、砂山町に公設市場を開設した。
 砂山町の公設市場は、新川にかかる八幡(やはた)橋の東側の橋を挟んで川の上に建てられていた。
 市場で販売した品物は米、麦、雑穀、薪炭(しんたん)、味噌、醤油、砂糖、酒、魚類、野菜、乾物、荒物(あらもの)、理髪など生活必需品などである。これを浜松市の指定商人が時価より安く提供した。
 砂山町の公設市場の売上高は年々増加し、3年間で約10倍(大正11年…7,724円、大正14年…75,589円)に達し、三組、常盤両市場を併せたものよりも多かった。
 これは南部地区にはこの公設市場を利用する人、すなわち中産以下の人たちが多かった証拠でもある。

 
 
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