旭日氷糖跡(あさひひょうとうあと)
 砂山町に本社及び工場のあった旭日氷糖は、大正12年(1923)堀内勝次郎氏を社長として資本金55万円をもって発足した。
 当時の浜松地方には、この他に藤田氷糖(藤田孫七、篠原村馬郡)もあつて、昭和3年(1928)頃には全国生産の92%(600万kg/年)を占めていた。地場産業の織物には及ばなかったが、楽器産業の生産高をはるかにしのぎ、旭日氷糖はその中核として業界をリードしていた。
 しかし、戦争が激しくなった昭和19年(1944)、戦時企業整備令により浜松地方の氷糖業界はすべて大阪の合同氷糖に統合され、戦後の復興もならず、浜松の氷糖事業も幕を閉じたのである。

 
 
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